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森鴎外「高瀬舟」偏見感想文 庄兵衛の疑問はいつ晴れる? [読書]

高瀬舟」は
安楽死」と「足るを知る」がテーマになっている。
改めて読むと、現代にも喜助同様
「足るを知る」生活すら、ままならない人はたくさんいる
超高齢化社会において「安楽死」を考える人も多い。

小欲知足」という言葉がある。

欲少なく、足るを知る生活はいかにも質素な生活だが
喜助には恵まれた生活に見えるだろう。

弟殺しの犯人として高瀬舟に乗り、護送は同心羽田庄兵衛だった。
乗せて行く罪人のほとんどが、目も当てられないほど気の毒な様子を呈するが
喜助の様子は違っていた。
晴れやかで目にはいくらかのかがやきすらある

聞けば

今は、弟殺しの犯人として囚われの身
それまでは、仕事にありつき食をうることすら困る日々だった。
しかし、牢屋暮らしは、仕事をするでもなく食にありつけ
その上、牢を出る際には二百文渡された。

島に流される人たちのほとんどは
待ち受ける悲惨な生活を想像するだけで、絶望した。

ところが

喜助はそれは「世間で楽をしていた人だからだ」と、、、
島には、辛いであろうが仕事があり、そして
食に困ることはなく、何よりもお上から
与えられた居場所

「足るを知る」喜助だった。

それまでは
幼くして親を亡くした喜助兄弟は、生き延びることだけで精一杯で
「足るを知る」といっても、その元になる居場所すら無い
あるのは二つの命だけだった。

たとえどんな些細なものでも
ものがあって、初めて「足るを知る」ことができる

それに比べ
同心羽田庄兵衛の生活はどうだろう。
世間で言う一通りのものはそろった生活だが
それでも
何かが欠けていて、人の欲望には際限がないことを
あらためて思い知らされる、羽田庄兵衛だった。

病に伏した喜助の弟は
喜助に申し訳なく、自害を計る。
手が滑って、剃刀で喉をかききれず苦しんでいる時
兄喜助が戻り、喜助は医者を呼ぶと言うが
それを止めて
弟は「喉の剃刀を抜いてくれ」と懇願した。
そうすれば、死ねるからである。
あまりにも苦しそうな弟の頼みどおりに

喉の剃刀を抜くと、弟は息を絶えたのだった。

羽田庄兵衛は
喜助の弟殺しは、罪は罪と思い
しかし、これが果たして人殺しというものか疑問に思う。
死に切れずに苦しんでいる弟
このままでも、いずれ死ぬ弟である。
喜助は、弟を苦から救いたかったのだ、、、、

晴れやかで、目にはいくらかのかがやきすらあるのは
喜助はすでに心の中で、
弟殺しに対する気持ちの整理がついていて
現代風に言えば
「安楽死」に導いたのだと納得し
羽田庄兵衛と高瀬舟の船上にいたのかもしれない。

一方

羽田庄兵衛は
苦から救おうとした結果、弟を殺した
喜助が殺人犯とは、、、、?


どうしても解せない疑問が尾を引いた。


現代なら、執行猶予か?
あるいは比較的短い実刑か?

ありえない事ではあるが
仮に、喜助が情状酌量になったならば
晴れやかで、目にはいくらかのかがやき」は
なかったかもしれない、、、、
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「檸檬」梶井基次郎 あらすじ&偏見感想文  えたいの知れない不吉な塊は、丸善とともに粉葉みじんとなるだろうか? [読書]

主人公「私」は、今ある現実がなかなか受け入れらないので
現実逃避するために錯覚という方法で
「えたいの知れない不吉な塊」に決別を試みました。

生活が蝕まれている今、「えたいの知れない不吉な塊」が住み込んでいて
以前のお気に入りだった場所、丸善ですら
そこのすべてが借金取りの亡霊にみえるほど「私」を脅迫するのです。


心の闇
逃避する心


梶井基次郎の「檸檬」には
以前の私」とか「その頃の私」とか、
他に文法的には成り立たない表現があり
理解しずらい部分もあります。

①「その頃の私」→えたいの知れない不吉な塊に圧迫されていて、生活が蝕まれている

②「以前の私」→元気だったころ、丸善がお気に入りだった

③何がさて私は幸福だったのだ。→何はともあれ「私」は幸福だった

①~③を頭に入れて
逃避の世界で自己回復を試みるという
・「論理性より感性的な表現」を意識して
読むと入りやすいでしょう。


あらすじはいたってシンプルです。

その頃の私」はいつもえたいの知れない不吉な塊に圧迫されていました。
元気だったころの「以前の私」は
丸善がお気に入りで、いろいろ商品を眺めるのが好きだったのです。

生活がむしばまれたこともあり「その頃の私」は
以前の私」がお気に入りだった丸善を忌み嫌うようになっていました。
その頃の私」が好きだったものは
みすぼらしさを感じられる裏通りやおはじきなどを舐めること
特に果物屋は好きでした。

ある朝、私は果物屋で檸檬を1個購入しました。
檸檬のちょうどよい重さのおかげで、今までの憂鬱が嘘のように晴れ
街をふらふら歩き回り、気が付くと丸善の前に、、、

堂々と私は丸善に入りましたが、「その頃の私」の憂鬱な気分が戻ってきて
画集を取り出しては、元に戻す気力も無く更に憂鬱になっていきました。
私は持っていた檸檬のことを思い出すと、檸檬を買ったときの軽やかさがもどってきて
画集を手当たり次第に積み上げて城を作り
私はその城の頂に檸檬を載せました。
城の頂上にある檸檬の周囲だけ緊張感が漂うようでした、、、

私は檸檬を置き去りにして、丸善を出ました
あの檸檬が実は爆弾で10分後に大爆発すれば
と想像しながら、、、、、

はたして
えたいの知れない不吉な塊は、丸善とともに粉葉みじんとなるのでしょうか、、、、

誰しもが
ふと、これにも似た自己逃避的妄想に陥ることがあるかもしれません。




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田山花袋「蒲団」 あらすじ&偏見感想文 中年男、片恋の結末 [読書]

中年男の、心の音が聞こえてくるようだ。

十代にこの小説を読んでもつまらなかっただろう
二十代ならどうか?
恋を知ってはいても、面白く読めただろうか?
六十代になって、やっと読めた気がする。


横山芳子は、岡山県の田舎の豪家に住み
東京で美文的小説を書いている竹中時雄に
弟子入りを願う手紙を、再三出していた。

最初は取り合わなかったが、芳子の志の強さを感じ
時雄は弟子入りを認めることとなった。

父親と共に、芳子が時雄宅を訪れたころ
時雄の妻は、三人目の子供を出産したばかりで
時雄は結婚生活にしろ仕事にしろ、すでに孤独であった。

時雄三十六歳、芳子十九歳。

華やかな声、艶やかな姿の芳子が
先生!先生!と慕ってくると
時雄の心はときめき、恋しく思うようになっていた。

やがて、妻や親戚に気遣い、時雄の家から妻の姉の家に住まいを移し
芳子を女塾に通わせた。

花袋の表現は、心がありそして、美しい。
芳子を語る花袋の表現は、実在した乙女のようにも感じられる。

「美しいこと、理想を養うこと、虚栄心の高いこと__こういう
傾向をいつとはなしに受けて、芳子は女学生の長所と短所を
遺憾なく備えていた」(本文より)

妻の姉の家での芳子の生活は
男友達が部屋に遊び来たり、帰宅時間が遅かったりと
自由奔放で近所の評判になる。

何度かの帰省中に、芳子に京都の大学生の恋人ができる。
田中秀夫 二十一歳。


芳子の恋人、田中の存在を知ると
時雄は心おだやかにはいられない。

「時雄は悶えざるを得なかった。わが愛するものを奪われたと言うこと甚だしくその心を暗くした」(本文より)



芳子はすでに、田中とは深い関係であるにもかかわらず、二人は清い間柄として
二人の恋の証人、保護者として芳子の両親に万事円満に済むよう
時雄に信頼を寄せた。

時雄は疑いつつも、嫉妬しつつも、道徳的な師の立場と恋心のはざ間で苦しみ
酒にひたる。

そして、監督責任を理由に再び時雄の家に、芳子を連れ戻した。

その後、田中は「東京で働く」と上京する。


「、、、、、君がどうしても東京にいると言うのなら芳子を国に帰すか、この関係を父母に打ち明けて許可をもらうか、二つに一つを選なけらばならん、、、、、、」(本文より)

と、時雄は田中の帰国を説得するが受け入られなかった。

二人の恋が、人目に余るようになると
時雄は監督上の責任として、すべてを芳子の父母に報告し
その間も、自らの心を偽って、二人の恋の温情な保護者を務めた。

芳子は、父母からの許可はもらえるはずもなく
ついに二人は、いっしょに生きることを決心する。


芳子の父親が上京し、四人で話し合いをするが
最後は芳子が帰国することに決まる。


それは時雄も芳子を失うことを意味する。


時雄は思うのだった。
「-その全部を一書生に奪われながら、とにかくその恋に就いて真面目に尽くしたかと思うと腹が立つ。その位なら、-あの男に身を任せて居たくらいなら、何もその処女の節操を尊ぶには当たらなかった。自分も大胆に手を出して、性欲の満足を買えば好かった。」
(本文より)

何とやるせなく、はかない、愚かしい思いだろう、、、、、、

芳子は手紙で
田中との深い関係を時雄に告白すると
時雄は、その手紙を受け取らず即刻父親と帰国するよう
父親が滞在する旅館に、芳子を送り預けるのだった。

田中から芳子を引き離した、ということで満足感を覚えつつも
時雄には恋しさばかりが残った。

そして
「さびしい生活、荒涼たる生活は再び時雄の家におとずれた。子供を持てあまして喧しく叱る細君の声が耳について、不愉快な感を時雄に与えた」(本文より)

芳子を置いた二階の部屋
残り香の「蒲団」に顔を埋めて、時雄は泣くのだった。

文学史に残るラストシーンは、あまりにも有名
直接、本を手にとって読むところだ。

平成と明治の不倫事情は違うが
中年男の、揺れる心の音を聞きながら読みたい。


蒲団/一兵卒改版 (岩波文庫) [ 田山花袋 ]



蒲団/一兵卒改版 (岩波文庫) [ 田山花袋 ]




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太宰治「斜陽」偏見感想文 生き抜く女・堕ちていく男 [読書]

最後まで貴族として生き抜いた母。
貴族を、女子大学の古い教訓を捨て、
シングルマザーとして生きる、かず子。

対照的に

貴族である自身に存在価値を見出せず、退廃的に生き
自らの命を絶った直治。
貴族へ羨望と嫉妬ゆえか、貴族出身のかず子と直治を弄びながら
自堕落に生きる上原。


冒頭


貴族生活に蛇がでてくるあたり、、、、
蛇のもつ不気味さと神々しさが
この物語全体の雰囲気を包む。


母を
最後の貴婦人と信じる、かず子と直治。
かず子と直治は、貴族としての素晴らしい母を慕うが


”直治と私と、たった二人の肉親に見守られて、

日本で最後の貴婦人だったお母様が。

お死顔は殆ど変らなかった。”



伊豆の家で結核を患い、二人を残し逝ってしまう。



直治は、出征中に再びアヘン中毒になっていた。
出征から戻ったとき
慕う母や、姉かず子は戦後のゴタゴタで財産や預金を失い
西片町の家を処分し伊豆に住まいを移していた。
貴族高等御乞食などどいい、見下していたが
母だけは、ほんものの貴族と認め慕っていた。


直治は高等学校時代にある小説家のマネをして、麻薬中毒
なった経緯があった。


直治の麻薬中毒は
結婚している姉かず子に、母に内緒でお金の融通を依頼する。
かず子は高額な金額が心配になり、
直治と親しくする小説家上原二郎を訪ね、お酒を飲み
帰り際、上原のキスを受け入れる。


結婚しているかず子に「ひめごと」ができた、、、、

この「ひめごと」がかず子の生きる原動力となっていくのだ。

離婚、流産を経て、母と同居するかず子。
弟直治が戻るまでの時間
母と、貴族として幸福の短い残り時間。

直治が戻り、直治は母から多額のお金をもらいながら、東京で
小説家上原二郎らと遊興にふける。


上原に恋心を抱くかず子は、上原に手紙を出すが、
返事はもらえなかった。


母が死ぬと、弟直治が若い女を連れて伊豆に戻ったことを機に
上京し、上原を訪ね、上原に抱かれる。

その日の朝、かず子に遺書を残し
弟直治は自らの命を絶った。


直治の夕顔日誌より

”「ママ!僕を叱ってください!」

「どういう工合いに?」

「弱虫!って」

「そう?弱虫。・・・もう、いいでしょう?」

ママには無類のよさがある。ママを思うと泣きたくなる。

ママへのおわびのためにも、死ぬんだ。”



”戦争。日本の戦争は、ヤケクソだ。

ヤケクソに巻き込まれて死ぬのはいや。いっそ、ひとりでしにたいわい。

人間は、嘘をつく時には、必ず、まじめな顔をしているのもである。

この頃の、指導者たちの、あの、まじめさ。ぷ!”



マザコンでシニカルな直治。



直治は、死にたがり屋だ。
母の死後、後を追うように自らの命を絶った。


堕落した貴族でも
母より先に逝くわけにはいかない
母を悲しませるわけにはいかない、、、、、

貴族という自分に終わり告げ
死んだ母を追う。


直治の遺書より


”姉さん

 信じてください。

 僕は、遊んでも少しも楽しくなかったのです。

 快楽のインポテンツなのかも知れません。僕はただ、貴族という

 自身の影法師から離れたくて、狂い、遊び、荒んでいました。

 姉さん。

 いったい、僕たちに罪があるのでしょうか。”




”僕は、素面で死ぬんです。

 もういちど、さようなら。

 姉さん。

 僕は貴族です。”




一方、かず子は悲しみも癒えぬまま
それでも、自らの「恋と革命」に生きる決意をする。

かず子は上原の子どもを身ごもっていた。
恋の冒険が成就したのだ。


戦争のときに徴用されて、ヨイトマケや、地下足袋をはいて、畑仕事をするあたりから、貴族を捨てても生きる、かず子の強さの芽が育ち始めていた。


かず子の決意ー本文より

”戦闘、開始。いつまでも、悲しみに沈んではおられなかった。

私には、是非とも、

闘いとらなけらばならぬものがあった。

新しい倫理。いいえ、そう言っても偽善めく恋。

それだけだ。”



新しく生まれ変わるかず子の瞬間!




そして
上原に勝利宣言、決別の手紙を書くかず子。



私が「斜陽」を読んだのは、人生後半だったが
それは、幸運だった思う。


直治の「夕顔日誌」など多感な十代に読んでいたら、、、、、
今は自分はこの世のはいないかもしれない、などと思ってしまう。



人間の業を
詩的に、、、
あからさまに、、、、
節操を感じさせないにもかかわらず
美しい文がならぶ。

気障でもなく、不自然さもなく、、、
太宰治の才能があふれんばかりである。



かず子に託した、生きる強さ
太宰治が本来は生きたがり屋だったと思わせる。


人の持つ外面と内面のギャップを埋め合わせることが
できずに、斜陽する心。




人生を最後まで謳歌する女
疲れ果てて、はかなく死ぬ男。


夏目漱石「門」 祝福されない結婚のゆくえは?-宗助とお米 [読書]

宗助とお米は、つつましく、ひっそりと暮らしていた。


気立てのいいお米だったが
「そのうちにはまた好い事があってよ。そうそう悪い事ばかり続くものじゃないから」などといい、宗助を苛立たせることもあった。


宗助とお米は結婚しているとはいえ、それぞれ孤独をかかえている。

宗助は、何事にも積極的になれない一面もあり、それは
神経衰弱を患っているせいなのか、役所勤めも淡々とこなしていて
どこの家庭にもある、身内同士の懸案もあった。

大学時代を京都で過ごし、その後広島に住むがその頃に父親を亡くしてしまう。
母親もすでに逝去していて、残された年の離れた弟、子六の件もその一つだった。
東京の叔父に父の財産の処分と、弟子六を預け、福岡に移り住んだ。

その後、父の財産についての話もないまま叔父が急死し
面倒はもう見れないと、叔母は子六伝えていた。

亡くなった叔父は、廃嫡(はいちゃく-今でいう勘当でしょうか?)されかかった
宗助は財産の受け取る権利はない、と言っていたとも告げられ
父の財産で買った家は焼失し、子六の学費等で、底を尽きているとの説明だった。


宗助は大学の友人、安井の恋人(内縁関係)お米を奪い
だれからも祝福されない結婚をしたのだった。

広島から福岡に移ったが
友人の計らいで宗助とお米は東京移ることになっていた。

あきらめや忍耐は、先々へ希望を見出すこともなく
宗助は、東京に移ってからも
子六の問題に真剣に取り組むこともなかった。


結局、子六は宗助の家に住むことになり、お米は
何かと気むずかしい子六に気遣いながら暮らすことになる。


お米は、宗助に言えない、自身の事情をかかえていた。


借家の家主板井の家に泥棒が入ったことを機に、宗助は板井家に出入りするようになった。板井家からは、子どもが弾くピアノの音が聞こえるなど何かと明るい様子がうかがえた。

宗助はお米に
「なに金があるばかりじゃない。一つは子供が多いからさ。子供さえあれば、大抵貧乏な家でも陽気になるものだ」と世間話をした。

その夜、三度めの妊娠でも
子どもを産むことができなったお米は
自分はもう子どもは産めない、と宗助に謝る。

易者がいうには
「あなたは人に対して済まない事を
した覚がある。その罪が祟っている
から、子供は決して育たない」と告げられ
宗助には「あなたにお気の毒で」言えなかったと
泣くのだった。

こうして、宗助とお米の結婚生活は六年が過ぎていった。


正月に、子六が板井の家に遊び行った。数日後、宗助も板井の家に呼ばれ
その時に、子六を書生としてよこすように言われ、快諾する。

板井には蒙古(モンゴル)に弟がいて、数日後に、金策で東京に来る。
弟と一緒に、蒙古の友人「安井」も宗助に紹介したいと云ってくる。

宗助は「安井」が満州に渡ったと聞いていたので、衝撃を受けてしまう。

不安におびえながら、安井の件をお米に話すことができないまま
病気だと取り繕って、役所を休み、お米に
「少し脳が悪いから、一週間ほど役所を休んで遊んでくるよ」と云うと
お米は、宗助の様子がこのところおかしいので、喜んで送り出した。

宗助は鎌倉の禅寺の「」をくぐったが、悟りを得ることもできずに帰京する。

安井のことが気になっていた宗助はお米に
「板井さんからその後なにも云って来ないかい」と聞くと
「いいえ」と云うので、安心して銭湯へ出かける宗助だった。

役所通いの生活がもどり、月が変わると、役所では増報や人員整理が行われ
宗助は生き残り、昇給する。

お米は
「本当にありがたいわね。ようやく事春になって」とうれしそうに
話す。
「うん、しかしまたじきになるよ」と縁で爪を切る宗助だった。


この時代、親や身内に祝福されない結婚、、

」は、漱石からの宿題が多い作品だと思う。

宗助のいう「冬」どんな冬なのだろう?
板井の家に、再び「安井」が来ることはあるのだろうか?


宗助とお米の結婚生活は
「安井」の傷心のうえに成り立っている。



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