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夏目漱石「門」 祝福されない結婚のゆくえは?-宗助とお米 [読書]

宗助とお米は、つつましく、ひっそりと暮らしていた。


気立てのいいお米だったが
「そのうちにはまた好い事があってよ。そうそう悪い事ばかり続くものじゃないから」などといい、宗助を苛立たせることもあった。


宗助とお米は結婚しているとはいえ、それぞれ孤独をかかえている。

宗助は、何事にも積極的になれない一面もあり、それは
神経衰弱を患っているせいなのか、役所勤めも淡々とこなしていて
どこの家庭にもある、身内同士の懸案もあった。

大学時代を京都で過ごし、その後広島に住むがその頃に父親を亡くしてしまう。
母親もすでに逝去していて、残された年の離れた弟、子六の件もその一つだった。
東京の叔父に父の財産の処分と、弟子六を預け、福岡に移り住んだ。

その後、父の財産についての話もないまま叔父が急死し
面倒はもう見れないと、叔母は子六伝えていた。

亡くなった叔父は、廃嫡(はいちゃく-今でいう勘当でしょうか?)されかかった
宗助は財産の受け取る権利はない、と言っていたとも告げられ
父の財産で買った家は焼失し、子六の学費等で、底を尽きているとの説明だった。


宗助は大学の友人、安井の恋人(内縁関係)お米を奪い
だれからも祝福されない結婚をしたのだった。

広島から福岡に移ったが
友人の計らいで宗助とお米は東京移ることになっていた。

あきらめや忍耐は、先々へ希望を見出すこともなく
宗助は、東京に移ってからも
子六の問題に真剣に取り組むこともなかった。


結局、子六は宗助の家に住むことになり、お米は
何かと気むずかしい子六に気遣いながら暮らすことになる。


お米は、宗助に言えない、自身の事情をかかえていた。


借家の家主板井の家に泥棒が入ったことを機に、宗助は板井家に出入りするようになった。板井家からは、子どもが弾くピアノの音が聞こえるなど何かと明るい様子がうかがえた。

宗助はお米に
「なに金があるばかりじゃない。一つは子供が多いからさ。子供さえあれば、大抵貧乏な家でも陽気になるものだ」と世間話をした。

その夜、三度めの妊娠でも
子どもを産むことができなったお米は
自分はもう子どもは産めない、と宗助に謝る。

易者がいうには
「あなたは人に対して済まない事を
した覚がある。その罪が祟っている
から、子供は決して育たない」と告げられ
宗助には「あなたにお気の毒で」言えなかったと
泣くのだった。

こうして、宗助とお米の結婚生活は六年が過ぎていった。


正月に、子六が板井の家に遊び行った。数日後、宗助も板井の家に呼ばれ
その時に、子六を書生としてよこすように言われ、快諾する。

板井には蒙古(モンゴル)に弟がいて、数日後に、金策で東京に来る。
弟と一緒に、蒙古の友人「安井」も宗助に紹介したいと云ってくる。

宗助は「安井」が満州に渡ったと聞いていたので、衝撃を受けてしまう。

不安におびえながら、安井の件をお米に話すことができないまま
病気だと取り繕って、役所を休み、お米に
「少し脳が悪いから、一週間ほど役所を休んで遊んでくるよ」と云うと
お米は、宗助の様子がこのところおかしいので、喜んで送り出した。

宗助は鎌倉の禅寺の「」をくぐったが、悟りを得ることもできずに帰京する。

安井のことが気になっていた宗助はお米に
「板井さんからその後なにも云って来ないかい」と聞くと
「いいえ」と云うので、安心して銭湯へ出かける宗助だった。

役所通いの生活がもどり、月が変わると、役所では増報や人員整理が行われ
宗助は生き残り、昇給する。

お米は
「本当にありがたいわね。ようやく事春になって」とうれしそうに
話す。
「うん、しかしまたじきになるよ」と縁で爪を切る宗助だった。


この時代、親や身内に祝福されない結婚、、

」は、漱石からの宿題が多い作品だと思う。

宗助のいう「冬」どんな冬なのだろう?
板井の家に、再び「安井」が来ることはあるのだろうか?


宗助とお米の結婚生活は
「安井」の傷心のうえに成り立っている。



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